アニウッド大通り(漫画)

amazon unlimited版

先ずは余談から。言葉の枠構造とは、一旦意識しだしたら至る所で気になるものである。例えば「ヤモリ」。分類学上は有隣目・トカゲ亜目の下にヤモリ下目、イグアナ下目、トカゲ下目(スキンク下目)、オオトカゲ下目と並ぶ。動画などで出演者がヤモリの仲間を「トカゲ」と呼び、共演者やコメントによって「ヤモリ」と訂正される場面を幾度となく見た。古い日本語の枠構造に従うなら「ヤモリ」と訂正されても正解だと思う。昔の日本ではヤモリ下目の種(ニホンヤモリ)とトカゲ下目の種(ニホントカゲとカナヘビ)以外に目にする機会は一般的に無かっただろうから。但し、区別派に付くならイグアナとオオトカゲもヤモリと同様にトカゲから区別しないと分類学的にスッキリしないのだが、はたして彼らはそこまで意識しているのだろうか。非区別派はもちろん、「ヤモリ(下目)」を含む分類枠として「トカゲ(亜目)」を使ったと思われる。虱を「動物」と言ったり「生き物」と言ったりするようなものである。どちらも「日本語として」正しい。多分。その背景にどういう分類枠を想定しているのかの違いだけである。

つい数日前、『探偵!ナイトスクープ 年忘れファン感謝祭2020』なる動画を観た。これの依頼の一編が、「ヤモリがゴキブリを美味しそうに食べてるのを見て自分も食べてみたところ、実に美味しかった. ついては昆虫界で最も美味しいと名高い(何とかゾウムシの幼虫、名前は忘れた)を食べたい」というものであった。この依頼は面白いのでお薦めしたい。ヘラクレスオオカブトの素揚げを依頼者である女性が笑顔で平らげてしまう。そしてVTRの最後、クイズに対して「トカゲ」と答えた回答は「ヤモリ」ではないので不正解となった。スッキリしないが、日本語の慣習的には「ヤモリ」と「トカゲ」は区別されるものなのかもしれない。因みに僕は幼少より非区別派である。たぶん、そっちの方がスッキリすると感じたからだろう。

などと書いたのも、先日から日本語の或る言葉の由来に関する本を読んでいるからであった。この本についてはいつか紹介したい。その言葉とは、明治になって輸入された外来概念に対応するように作られた多くの新造語の一つであり、今では当たり前に使用される。他の造語の例にもれず、その言葉も従来の日本には無い(つまり、それまでの普通の日本人の論理空間には存在しない)概念を指し示すので、その言葉の定着にはある種の制度の導入を必要とした。そしてその言葉は、僕が子供のころから何となくスッキリしないものを感じていた言葉でもあった。

さて本題。表題書は年末年始にAmazon Unlimitedで読んだ漫画。僕がもう思い出すことも無くなったアニメやゲームの引き出しが随分と開き、そしてそれに纏わる思い出が芋蔓式に引き出されてきた。80年代の「オタク」趣味満載のこの漫画がピンポイントにササるのは1970年代前半生まれの人だと思うが、80年生まれくらいにも懐かしいものが幾つも出てくるであろう。懐古趣味を除いても、80年代中盤から後半頃のアニメ制作者(監督)の仕事ぶりがほのぼのと描いてあるので、そういうものに興味がある人にもお薦めである。

物語の中心はアニメ監督一家。この監督(作品内ではお父ちゃん)が誰をモデルにしているのか、アニメに疎い僕には良く分からない。彼が作成しているアニメも実際にモデルが有るのか、全くの架空なのかも不明である。作者自身を投影したと思われる一家の長男、樹貴くんが逸楽する多くのもの、マクロスやガンダムなどのロボットアニメやキン肉マンなどのマンガ(アニメではなく)は僕にとっては「大きいお兄さんのもの」として記憶されているので、彼は僕より多分3,4歳ほど年上である。ソッチ方面には疎かったのもあり、そういう意味で僕が彼と共有できるものはそれほど多くないのだが、この漫画に通底する懐かしさの源は多分、男の子の本当の楽園(それは12歳までであるとスティーブン・キングが言ったと、第一巻の中書きに有った)を彼が全力で満喫する姿に同年代の自分を思い出したからであろう。

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